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EF65 2081

新鶴見機関区所属のEF65が担当する5087レ。
前回はJR貨物色の機関車だったが今回は国鉄特急色の2081号機が現れた。
予定より早着しているのか、かなりゆっくりとしたスピードで吹田方面へと向かって走っていった。
コンテナの積載は満載ではなく通り過ぎた後ろ姿も機関車の顔がコンテナに隠されていなかった。
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機関車のカラーはブルートレイン牽引機の風格を取り戻してはいるものの、このカラーに似合う寝台車は無くなった。
この車両は2019年に全般検査を終えたのでしばらくは活躍を観ることができるだろうが、いずれはEF210に置き換えられてしまうのだろう。
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臨時急行丹後ビーチ51号

国鉄時代。
今のように少子化問題も格差問題もなかった時代。
大幅な運賃値上げなどで利用者離れが進んでいた昭和50年代の国鉄だが、夏休み期間となる臨時列車が大増発された。
新幹線も東海道・山陽新幹線しか開業しておらず、在来線は特急・急行が移動の花形として君臨していた。

親戚と一緒に天橋立に行くことになった。
京都駅から臨時急行丹後ビーチ51号に乗った。
ホームには大阪からEF58が12系客車をけん引して現れた。
だが、当時の山陰本線は非電化なので、EF58の役目はここまで。
直角イスの並ぶ車内は海へと向かう家族連れが多かったはず。
親戚や従兄弟たちとは車中で何を話したかはすっかり忘れてしまったが、青い客車に乗るのは初めてでうれしかったと思う。
ブルートレインは好きだったのだが、寝台ではなく座席車の客車の存在をこのときに初めて知ったのかもしれない。
京都駅からはDD51にけん引が変わったのだろうか、宮津線に入るから途中でDE10に変わったのかもしれないが、カメラも持たずにいったので記録はなにも残っていない。

そして、在来線にはレジャーシーズンとはいえ昔ほど臨時列車が走らない。

113系といえば湘南色

国鉄時代はよく見た近郊型車両の113系。
当時は当たり前に走っていたので写真を撮ることは少なかった。
この写真を撮影したのは1980年代。
新快速には117系が投入され、113系は主に快速での運用に就いていたが、まだ、東海道本線、山陽本線といったメインな路線においてもバリバリと走っていた。
希少種となってしまった現在の113系は関西においては緑一色と味気ない塗装になってしまったが、この車両は湘南色が似合う。
img694_R2018.jpg
写真の編成は天井の上にクーラーが設置されていない。
ヘッドライトも大きく、非冷房な車両ということでシャッターを切っていたのだろう。
窓を開けて天井の扇風機で、乗客は涼んでいたのだが、ラッシュ時は汗だくだったことだろう。
最近の電車は空調も完備されて窓を開けて乗る機会は、ほとんどないのはなんだかさびしい気もする。

20系ブルートレイン

走るホテルともてはやされて華々しく登場した20系客車。
B寝台は三段式で寝台幅は52cmとかなり狭い。
見た目の優雅さとは裏腹にB寝台での移動となるとかなり窮屈で、快適とはいいががたかったであろう。
子供の頃に三段式の寝台に乗ったが、ホントに寝るだけだった。
直角イスの夜行列車に比べると体が横になるだけラクだったように思う。

寝台特急として投入された車輌も、年数が経ち寝台幅も狭いことから14系・24系といった新鋭にその立場を奪われていき、活躍の場所は主に急行列車となってしまった。14系・24系ともにデビュー時は三段式寝台だったが、ベッド幅は広くやがて二段式へと進化していった。
img619_R2018.jpg
写真は1980年代の大阪駅にて。
撮影はしたものの列車名が思い出せない。
急行銀河であればテールマークに「急行」と文字が書かれていたはずなのだが・・・。
臨時列車の返却回送だったような気もする。
進化していったはずのブルートレイン、その姿を観れなくなって久しい。

特急おおとり

北海道胆振東部地震の影響は長引き、JR北海道も今日になって特急列車の運転がやっと再開されたという状況。
震源に近かった日高本線は長期運休中の区間に加え、苫小牧ー鵡川も運転が再開されていない。
液状化現象、倒壊した家屋などこれから冬に向かっていく季節のなかで復旧作業が順調に進むことを願うばかりだ。
近年は経営状態の厳しさを増しているJR北海道にとって今回の地震は痛手であるだろう。
国鉄時代に比べてローカル線は切り捨てられたものの、まだ、不採算路線が多くさらに鉄路が失われていく様子はかつての路線図と見比べるとあまりにも悲しい。

以前に北海道のキハ82特急でも書いたのだが、特急おおとり
函館とオホーツク沿岸の網走を結んでいた特急は当時はヂーゼルカーの特急として最長距離の移動をしていたはずだ。青函連絡船に函館に到着してそこから特急に乗って網走に至るというルートは、キハ82系のシートではお尻も痛くなってしまったことだろう。どれだけ始発から終点まで乗車した客がいたかは今となってはわからないことではあるけれども。
長距離列車が減った今となっては、食堂車を組み込んだ長い編成の特急が走っていたことなど遠い昔のことだ。
img593_R2018.jpg
1986年に撮影した特急おおとり。
函館本線の駅での撮影だが、滝川か砂川あたりだと思う。
隣の線路には石炭を積んだ貨物列車も停まっている。
当時は特急に目がいってしまい、石炭を積んだ貨車の写真を撮っていなかった。
貨物列車ももっと撮っておけばよかったと30年を過ぎてから後悔。
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